正社員を逃亡退職後、派遣社員、アルバイト、無職を転々とした体験談
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5年以上、勤めていた先物取引仲介会社の正社員を逃亡退職しました。
逃亡退職して退職金は出たのですが、逃亡退職した翌日からは無職です。
有給休暇の消化もしていません。
目次
逃亡退職した代償は大きいと感じた、正社員から無職になるのはツライ
逃亡退職してから、正社員の就職活動をしましたが、全く採用されませんでした。
就職エージェントや派遣社員登録をしたりして、とにかく仕事を探し続けました。
なんせ、35年の住宅ローン、カードローンのリボ払いが残っているので、なんとしても借金完済したいと考えていました。
Q4.リボ払いを利用する時に注意する点はありますか?
リボ払いの利用時には、以下の点をご確認下さい。
・リボ払いの支払残高
・支払額
・手数料の金額 など自分の支払能力を把握して無理のない利用に心がけるとともに、新たな買物をすると支払いの終期が延びたり、毎月の支払額が増えたりすることに注意して下さい。また、毎月の利用明細書などで常に支払残高を確認し、毎月の支払額を認識しておきましょう。
引用元:リボ払いの特徴と利用上の注意
就職活動しても、正社員が決まらない最中に、派遣社員の案件を紹介されました。
期間限定の派遣社員として働いたら、知り合いがいた
2ヶ月間の期間限定の派遣社員です。
期間限定でもいいから、とにかく生活費を維持するために引き受けることにしました。
派遣先は大手パソコンメーカーの研究所でした。数人で派遣社員として入ったら、知り合いの女性も派遣社員として働いていました。
お互いびっくりしましたが、初めて会いましたって感じでお互い対応していました。
仕事内容は、あるデータを研究員から受け取って、それのデータ入力作業という単純作業でした。
2ヶ月間の間に高熱を出して欠勤してしまった日もありましたが、無事に2ヶ月間、派遣契約満了まで、やりとげました。
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派遣社員から正社員になるチャンスがある派遣先だった
その後も無職になりました。正社員の就職活動をしても全然決まらないのです。
諦めかけている時に、また同じ派遣先から、自動車部品メーカーの人事部の案件を紹介されました。
面接に行って、とにかく生活費を稼ぐために頑張りたいと面接官に伝えて派遣社員として採用されました。
従業員1000名以上の大手会社でした。
人事部として給与計算、会議室のセッティングなどの雑用をこなしていました。
また、この会社では、派遣社員を正社員に雇用を変更する制度もありました。
リーマンショックによって派遣切りに遭遇してしまい、再び無職になった
派遣社員を3年間勤め上げたら、正社員の採用試験を受けれるというシステムでした。
しかも、会社の従業員たちは、温厚な人たちばかりで、働きがいもあるし、派遣社員として3年間頑張ろうと考えていました。
しかし、世間で、リーマンショックが起こってしまいました。
自動車部品メーカーも影響を受けて事業縮小のために200名の派遣社員全員を派遣切りすると言う事態に遭遇しました。
せっかく、正社員になる目標を持ってやっていたのに、リーマンショックのせいで、派遣切りにより、派遣契約満了となりました。
半年以上、雇用保険を差し引かれて働いていたので、失業手当が支給されました。
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正社員の就職活動をしても、不採用通知ばかりでツライ日々を送る
リーマンショックによる派遣切りなので、会社都合退職となりました。
会社都合退職なので、すぐに失業手当が支給されました。
派遣切りにより、またまた、無職になりました。
派遣元に、次の派遣先にお願いしつつ、再び、正社員の就職活動をしました。
面接に行っても不採用ばかりです。
書類選考で履歴書と職務経歴書を送っても、ポストには無数の不採用通知ばかりが届くだけです。
失業手当の支給が終了になりかけの時に、またまた派遣先から案件を紹介されました。
派遣先が決まったけど、給与が少なくて生活困難になってしまった
業務用空調メーカーの修理受付オペレーターの仕事です。
私は、ワラをもすがる気持ちで、派遣先に面接に行きました。
面接官に面接してもらい無事に採用となりました。
こうして業務用空調メーカーの修理受付オペレーターとして、仕事をすることになりました。
業務用エアコンなので、夏場は修理依頼の電話が鳴りっぱなしでした。
最初の頃は、電話対応して技術員に依頼するだけみたいな感じで定時退社させられていました。
給与明細を見たら、メチャクチャ少ないのです。
平日は派遣社員、休日はアルバイトをして、休日なしで働き続けた
これは、マズイと感じて平日以外の土日祝だけアルバイトできる仕事をフリーペーパーで探しました。
すると、光回線の契約をするテレホンアポインターの仕事を見つけました。
わたしは、すぐに面接の予約をしました。
そして、無事にアルバイト採用となりました。
土日祝だけ出勤する条件で採用されたのです。
平日は派遣社員、休日はアルバイトをして、休みなく働く日々を過ごすようになりました。
1ヶ月間の間に、実質休みがない状態で会社で働き続けました。
派遣社員でオペレーター、アルバイトでテレホンアポインターとして、働いていたので、電話漬けの日々を過ごしました。
その甲斐あって、派遣社員、アルバイトの給与を両方足して30万円くらい稼いでいました。
派遣社員のリーダーとして昇格したので、後輩の指導役になったので、時間外手当を稼げるようになった
派遣社員、アルバイトの掛け持ちを半年くらい続けました。
半年後くらいに、派遣先の上司からポジション変更の話をいただきました。
リーダーにならないかと言われました。
リーダーになったら、定時で帰れなくなるけど、時間外手当で残業代を稼ぐことができると感じて引き受けました。
リーダーになったので、アルバイトを辞めました。
そして、後輩の派遣社員の面倒を見る役割をするようになりました。
定時で帰れなくなりましたが、時間外手当で、給与が増えました。
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派遣先が最大手会社に吸収合併されてしまい居心地がよくなくなって、また無職になった
そのようなことを2年くらい続けていると、業務用空調メーカーが最大手の電機メーカーに吸収合併することになりました。
なんだか、働きにくいと言うか、居場所を感じなくなって派遣社員を辞めることにしました。
幸いにも、会社都合退職として退職処理をしてくれたので、すぐに失業手当が出ました。
またまた、無職になりました。
無職期間は、ハローワークに通って正社員の採用活動をしていました。
しかし、全く決まりませんでした。
またまた、派遣先に案件をお願いしていました。
派遣社員でテレホンアポインターをすることになった
数ヶ月後に、WEB集客会社のテレホンアポインターの案件を紹介されました。
わたしは、テレホンアポインターの経験もあるから、面接の場でアピールして無事に派遣社員として採用されました。
WEB集客会社の入社日当日、同期の派遣社員は10名を越えていました。
テレホンアポインターの研修をしてもらってから、会社に電話をかけて社長と商談するためのアポイントを取得するのが、仕事でした。
わたしは、テレホンアポインターの経験もあってか、アポイント数は、常に上位でした。
同期が全員派遣切りに遭遇した。けど、事業閉鎖により結局、私も派遣切りに遭遇してしまい、また無職
数ヶ月後に、事業を縮小することになりました。
私以外の同期の派遣社員が全員派遣切りにあいました。
私はアポイントをたくさん取っていたので、残ることができました。
そして、午前からテレホンアポインター、昼休みは、母親の作った弁当を食べて昼寝して過ごしていました。
午後から夕方までテレホンアポインターをして、定時で帰宅する日々を3年近く働いていました。
3年近く経過した頃に、部署を閉鎖することになりました。
そして、派遣社員は、全員派遣切りになりました。
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アルバイトで不要品買取のテレホンアポインターとして雇用される
派遣社員は、派遣先の都合のいいように切られる、とても不安定な雇用形態だと感じました。
有給休暇を消化して、派遣契約満了となりました。
会社都合退職となりました。
私は正社員は決まらないと感じて、ひとまずアルバイトを探すことにしました。
面接をして採用されたアルバイトは、不要品買取のテレホンアポインターでした。
不要品を聞き出して、貴金属の買取もしていることを伝えて、営業マンと女性客に訪問の約束をするテレホンアポインターをしていました。
ついに、正社員として採用してくれる会社を見つけた
フロアには100名くらいのおばちゃんばかりでした。
おばちゃんトークの方がよくアポイントが取れている様子でした。
私のアポイント成績は平均値でした。
午前から夜まで、週6日で働いていました。
アルバイトは給与が少ないからです。
しかも、雇用保険はありません。無職になってしまったら、失業手当が出ません。
私は、アルバイトをしながら、休日は正社員の就職活動をしていました。
約半年くらいアルバイトで働きながら、正社員の就職活動をして、ついに正社員で採用してくれる会社が出てきました。
とにかく住宅ローン、カードローンの完済をしたい気持ちでいっぱい
WEB集客会社の営業マンです。アルバイト先には、正社員が決まったので、退職しますと伝えて、円満退職しました。
最後に、アルバイト先の社長から、
あなたは、我が社にとって優秀だった!これからも頑張ってください!
とエールをいただきました。
以前、先物取引仲介会社を逃亡退職してから、再び正社員として雇用されるまで10年近くかかりました。
それまで、派遣社員、アルバイト、無職を転々として、何度も失業手当をもらいながら、みじめな暮らしをしながら、住宅ローン、カードローンの返済を続けてきました。
先輩社員のパワハラが待ち受けていた
WEB集客会社の正社員はアルバイトの面倒を見たり、テレホンアポインターとして、社長と商談するためのアポイントを取る仕事でした。
わたしは、早朝に起きてトークスクリプトを何度も改善を繰り返して、アポイントが取りやすいトークスクリプトを作り続けました。
その甲斐あって、全国では成績上位になりました。
しかし、わたしを待ち受けていたのは、出る杭は打たれるのごとく、先輩社員からパワハラを受けるようになりました。
産業医の面談により心療内科を受診することになった
半年くらいパワハラを受け続けて、働く意欲、生きる気力を失ってきてしまいました。
本社の総務部に、働く意欲がないことを相談すると産業医と面談するように指示されました。
産業医には、パワハラを受けていること、働く意欲がなくなったこと、生きる気力を失ったこと、住宅ローン、カードローンの借金に追われて疲れ果てたことなどを、吐き出しました。
すると、心療内科を受診するように言われました。
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正社員を休職することになった
心療内科で心理士や主治医の診断や検査により、診断名は、うつ病とアスペルガー症候群であることを言われました。
そして、会社を休職するように言われました。
上司には心療内科の主治医から言われたことを伝えて休職することになりました。
本社の総務部には、診断書を送付して、休職することになりました。
そして、本社の総務部から傷病手当金の申請書を主治医に書いてもらって総務部に提出してくださいと言われて、毎月提出していました。
正社員、派遣社員、アルバイト、無職を転々とした挙句に精神病になってしまった
毎月、健康保険組合から傷病手当金が支給されるようになりました。
数ヶ月間、抗うつ剤、睡眠薬を飲んでいましたが、治りませんでした。
その後、上司から電話があり、これ以上、待てないからと言われました。
私は、働く意欲が戻っていないことを伝えると退職となりました。
今まで、住宅ローン、カードローンの返済のために働き続けてきた結果、精神病におかされてしまったのです。
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うつ病になって傷病手当金が支給されたが借金返済に充てていた
35年の住宅ローンを契約したのが、そもそも人生を狂わせたと、いまさらながらに感じる
もう働きたくない、ツラい、今もなお、その状況が続いています。
無理して35年の住宅ローンをくんで持ち家を購入してから、心理的ストレスを感じ続けてきました。
わたしは人生に疲れました。
これからも、心療内科に通院して、薬物療法を続けていきたいと思います。