生活保護を受けた体験談
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生活保護を受けた体験談を書きます。まさか、自分が生活保護を受ける運命に合うとは予想外でした。
しかし、先輩社員のパワハラを受け続けていました。
目次
先輩社員のパワハラを受けて、産業医面談、心療内科の流れになった・・・
半年間くらいパワハラを受けて、仕事のやる気を失ってきたことをキッカケに総務部に相談しました。
総務部から産業医面談をするように言われました。
産業医に先輩社員からパワハラを受けていること、住宅ローンの借金に苦しみ続けていることなどを打ち明けました。
すると、心療内科を受診してみるように言われました。
会社近くの心療内科を見つけて通院することになりました。
傷病手当金で住宅ローンの返済をしながら生活を続けていた
主治医の診察や心理士の検査を受けて、うつ病、アスペルガー症候群と診断されました。
労務不能と言われました。
総務部に診断書を送付しました。
会社を休職することになりました。
総務部から傷病手当金の申請をするように案内されました。
傷病手当金を支給されて、住宅ローン、カードローン、生活費に充てていました。
抗うつ剤、睡眠薬を飲むだけの日々を過ごしていました。
しかし、働く意欲は、戻らず、むしろ、何もやる気がなくなってきました。
会社を退職することになって、弁護士に相談して生活保護へとたどり着く
数ヶ月後に会社に容体を伝えて退職することになりました。
傷病手当金は一年半年で支給終了となりました。
無職であり、完全に無収入になってしまいました。
知り合いに相談すると弁護士に相談するように言われました。
法テラスの弁護士に相談すると親戚を頼るように言われました。
あと、生活を続けるために市役所の生活保護の相談をするように言われました。
親戚の支援もあり世帯分離できた
生活保護の窓口に相談すると、持ち家から単身で賃貸に引っ越しして、世帯分離したら、生活保護の申請ができることを教えられました。
世帯分離とは?
高齢になって今までのような日常生活を送れなくなってきた親を心配して、今まで育ててくれた親への恩返しも含め同居を考える人もいるかと思います。
「親子三世代、和気あいあいとした日々を過ごせて楽しそう」
「孫と過ごせるようになり親も嬉しいはず」
など、メリットが多いように見えますが、現実はそう甘くはありません。
例えば、親の収入が激減してしまい、生活費や医療費を子ども世帯が負担しなくてはならないケースがあります。特に子育て世代にとっては、受験や進学など自分の子どものためにある程度のお金が必要となります。仮に住宅ローンもまだ完済していないとなると、その負担は大きく生活を圧迫していきます。
そのような状況の時、おすすめしたいのが「世帯分離」という方法です。
「世帯分離」と聞くと「親子の縁を切らなければならない」などと思われる人はいるかもしれませんが、そうではありません。
そもそも世帯とはどういう意味かご存知でしょうか。世帯とは「居住及び生計を共にする者の集まり、又は単独で居住し生計を維持する者」を意味します。
家族によって構成されることが一般的ですが、同居人など家族以外の構成員を含む場合や、就職や就学、単身赴任などのために家族と離れて暮らしている場合はその世帯から外れることもあります。1世帯ごとに住民票があります。
では、その世帯を分離するということはどういうことなのか。わかりやすく説明すると、1つの家に同居しながらも、住民票の世帯を2つ(親と子など)に分けることをいいます。
親戚に相談すると、不動産屋さんに連れていかれました。
そして、生活保護前提で賃貸の内覧なしで、賃貸契約しました。
親戚の叔母さんが連帯保証人になってくれました。
また、初期費用も親戚の叔母さんが支払ってくれました。
こうして、母親を残して持ち家から出ていきました。
賃貸に住んで市役所で住所変更して世帯分離しました。
生活保護に認定された
その後、再び生活保護の窓口に相談して、生活保護を申請する流れになりました。
生活保護を申請して2週間後くらいに生活保護の認定の通知が届きました。
住宅ローン、カードローンは支払いできないため、銀行やカード会社から矢のような催促や督促の電話や郵便が届くようになりました。
生活保護を受けて翌月は現金での支給でした。
支給された現金で賃貸の家賃を支払い生活をしました。
ケースワーカーから債務整理をするように言われました。
ケースワーカーの不在メモを読むのがしんどかった
再び法テラスの弁護士に相談すると自己破産の流れになりました。
ケースワーカーは月に1回から2回くらい賃貸に訪問されました。
きちんと生活できているかチェックされていました。
散歩で外出していてアパートに不在になった時は、ケースワーカーの不在メモが投函されていました。
不在メモを確認したら電話するようにと毎回書いているのです。
なんかケースワーカーに監視、管理されているようでストレスでした。
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ケースワーカーの不在メモがストレスだった
ケースワーカーの指導がしんどかった
朝ごはん、昼ごはんを食べるのが億劫になってきました。
ケースワーカーに相談すると、朝はファーストフード店で食べるように言われました。
昼ごはん、夕ごはんはヘルパーさんに作ってもらうように言われました。
数ヶ月後にヘルパーさんが来てくれるようになりました。
昼ごはん、夕ごはんを作り置きしてくれるようになりました。
掃除もする気力がなかったので、ヘルパーさんに掃除してもらっていました。
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ケースワーカーに身だしなみを整えるように何度も注意されていた
ケースワーカーにアポイントなし訪問されるのがツラかった
風邪をひいたり、体調不良になったら、医療で治してもらうようにケースワーカーに言われました。
医療費、税金は免除されていました。
賃貸代の補助金も出ていました。
お金には困りませんでした。
しかし、ケースワーカーに監視、管理される日々はストレスでした。
お金の心配はなくやりましたが、ケースワーカーに毎月アポなし訪問されて、生活状態をチェックされていたのがストレスでした。
ケースワーカーから障害年金の申請をするように指導された
自己破産は一年ほどで終了しました。
持ち家は競売されて、数週間で競落されました。
裁判所から借金免除の封書が届きました。
借金1500万円は全額免除になりました。
母親は親戚の叔母さんの援助を受けて、競売前に持ち家から賃貸アパートを見つけて別居する流れになりました。
自己破産が終わってから数ヶ月後にケースワーカーから障害年金の申請をするように言われました。
障害年金の申請をするために、心療内科の診断書を書いてもらいました。
そして、数ヶ月後に障害年金の支給が決定されました。
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障害年金の受給決定後、母親のアパートに同居することになり、生活保護は打ち切りになった
障害年金の支給決定後に、ケースワーカーから母親のアパートに同居するように言われました。
母親のアパートに引っ越ししました。
その後、ケースワーカーから無事に引っ越ししたことを確認を受けてから、今後の生活は母親の年金と、わたしの障害年金を合わせて生活するように言われました。
そして、約2年で生活保護は打ち切りの流れになりました。
生活保護でなくなってから、ヘルパーの利用も解約しました。
ケースワーカーの対応の振り返って・・・
ケースワーカーのアポなし訪問から解放されて、ほっとしました。
しかし、生活保護が打ち切りになってから、医療費の支払い、税金の支払いが発生するようになりました。
賃貸の補助金もなくなりました。
生活保護を受けていたら、医療費無料、税金免除、賃貸補助金も出ていたので、お金の心配はいりませんでした。
その代わりに、ケースワーカーに監視、管理され自由を奪われます。
ケースワーカーに、精神病であることに寄り添いを感じなかった
生活保護が打ち切りになってから、医療費は発生して、税金の支払いも出てきて、賃貸の補助金もなくなりました。
一気にお金の心配が出てくるようになりました。
ケースワーカーに監視、管理されて、お金の不自由から解放されるのがいいのか、普通に生活してお金の不自由を味わいながら生活した方がいいのか考えてみました。
わたしは、うつ病、アスペルガー症候群でケースワーカーに精神病のことは、あまり気遣われませんでした。
それが、また苦しかったです。
まさか、生活保護を受けて自己破産とは予想外の未来・・・
精神病に寄り添ってくれる姿勢をケースワーカーから感じなかった苦しみはありました。
そう考えると、もう、滅多なことがない限り生活保護の利用は控えた方がいいように感じました。
まさか、正社員で働いていた営業マンが、うつ病、アスペルガー症候群になって、無職になって、生活保護を受けて自己破産する未来が来るとは思っても見ませんでした。
自力で借金を完済したかった
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本当は生活保護を受けたくなかった
できれば、住宅ローン、カードローンは、仕事をして働いたお金で完済したかったですし、実際に目指していました。
人生、生きていると何が起こるかわかりません。
残ったのは、うつ病、アスペルガー症候群になりました。
これからも、引き続き心療内科に通院して治療を続けていきたいと思います。