母親が嫌いになってしまった
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母親は過干渉、過保護、依存症だから、嫌いです。好きになれません。
両親の離婚を切っ掛けに、幸福感、安心感が消えた
カラオケで歌うこともあります。
父親と母親は、わたしが小学生低学年頃に離婚しました。
父親が浮気相手と再婚するためです。
父親と母親に恵まれていた小学生低学年までは、幸せを感じていました。
生きていることの安心感を持っていました。
両親が離婚してから、安心感はなくなり幸福感も消えました。
代わりに不幸で不安感が押し寄せてくるようになりました。
母親は過保護、過干渉、依存症
社会人になって働くようになってから、母親はわたしの銀行口座を管理して散財していました。
母親は過干渉で、会社に出勤するわたしに弁当を持たせていました。
会社の同僚から、からかわれたりして、恥ずかしい思いをしたこともたくさんありました。
わたしは、一人っ子で母親に過保護に束縛されました。
わたしの給料に依存されて生活費とか言ってむしり取られました。
家族のだんらんに憧れを抱いてしまう
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家族団欒に憧れます。家族仲良しに憧れます。
わたしの家庭は機能不全家族になってしまい、不幸しか感じれない悲しい家族になってしまいました。
結婚もできず、独身のままです。
母親、息子共にお互いを頼らないと生きていけない共依存になってしまいました。
共依存(きょういぞん / co-dependency )とは、お互いに依存しあい、力をそぎあう人間関係のことです。
「人はひとりでは生きていけないのだから、誰かと依存しあうのはよいことではないか」
と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、共依存は、お互いが自分にできることを決めて、主体的に助け合う相互協力(そうごきょうりょく)とはちがって、主体的になれない大人二人がお互いを支配しあいながら結びついている負の関係のことをいいます。
つまり、相手に自分を頼らせることで相手を支配しようとする人と、その人に頼ることでその人の自由を奪おうとする人との間に成り立つ関係であり、そこでは二人はお互いに相手の生きる力をむさぼりあうので、両者ともに疲れ果てていきますが、それでも別れようとはしません。いわゆる「憎み合いながら離れられない」「軽蔑しあいながらも、一緒にいないとさびしい」「愛憎劇」といった状態です。
共依存の核には、他者をコントロールしたいという支配欲があります。
引用元:共依存
今もなお、共依存に苦しんでいます。