毒親に育てられた私の小学生時代の体験:離婚と過干渉の中で育った人生
私の人生は、幼少期から波乱続きでした。小学生の頃、両親が離婚し、その後、母親との二人暮らしが始まりましたが、そこから毒親との複雑な関係が私の生活に大きな影を落としました。
父親の不倫と両親の離婚
私が小学生の時、両親が離婚しました。原因は父親の不倫でした。
父は不倫相手と再婚するために、母と別れることを選んだのです。この事実は私にとって大きなショックでした。
毎晩、寂しさと絶望感に打ちのめされ、父が帰ってくることを願いながら、壁に頭を打ち付けることすらありました。しかし、その願いが叶うことはありませんでした。
父親は新しい生活を始め、私たちを置いていったのです。
母親が背負った住宅ローンと祖父母の支援
父が去った後、母親が一戸建ての住宅ローンを引き継ぐことになりました。
母はアルバイトをしながら何とか生計を立てていましたが、それだけでは足りませんでした。
幸いにも、母親の両親、つまり私の祖父母が生活費や学費を援助してくれたおかげで、私は無事に高校や専門学校を卒業することができました。
祖父母のおかげで、教育を受けられたことには感謝しています。
母親に支配された給与口座
高校と専門学校を卒業した後、私はエアコン販売代理店で正社員として働くことになりました。
しかし、母親は私の給与口座とキャッシュカードを没収し、住宅ローンや生活費に使い始めました。
私は、自分の稼ぎであるにもかかわらず、手元にお金が一切残らない生活を強いられることになったのです。
「あんたが給料を自由に使えるわけがない」と母親に言われ、私は自分の生活の自由を奪われてしまいました。
毒親に支配される日々
母親は私の生活の隅々にまで過干渉し、私の給料を当たり前のように使い込みました。
さらに、母親は不満があると私に愚痴をこぼし、私を「愚痴の聞き役」に仕立て上げました。
この頃から、私は「毒親」という言葉の意味を痛感し始めました。
母親は完全に私の給料に依存し、私の人生をコントロールしようとしてきました。
一人暮らしをしたいと何度も母に相談しましたが、その度に、
「あんたなんか、一人暮らしできるわけがない!」
と冷たく否定され、私の希望はことごとく打ち砕かれました。
愛情を感じられなかった親子関係
父親は新しい家庭で幸せな生活を送り、母親は私のお金にしか興味を持っていませんでした。
私は両親からの愛情を感じることができず、常に孤独感と生きづらさを抱えていました。
毒親に育てられた結果、私の人生は非常にハードルの高いものになりました。
共感性、敏感性がともに欠けている親
精神的に未熟な親にもさまざまなタイプがあるが、子どもに孤独や不安な思いをさせるのはいずれも同じだ。愛情を与える方法は基本的に1つだが、子どもが愛情を求める気持ちを台なしにする方法はたくさんある。
精神的に未熟な親は、その未熟さのタイプに応じて4つに分けられる。どのタイプも、子どもの気持ちに鈍感で、不安をもたらす。
すべてのタイプの根底には精神的な未熟さがある。いずれも傾向として、自分のことしか考えず、やたらと自己評価が高く、精神的に頼りにできない。また、わがままで無神経、親密になるための能力が乏しいといった特徴がある。
今でも続く心の痛み
毒親に支配された人生は、今でも私の心に大きな影響を与えています。
自由を奪われ、自分の人生を思うように歩むことができなかったその経験は、現在でも私の心に重くのしかかっています。
愛情を感じられなかった日々が続き、心は満たされないままです。
今でも、心が満たされず、ツラいと感じる日々を送っています。
まとめ
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私の人生は、毒親との複雑な関係に翻弄されたものでした。
しかし、こうした経験を通して感じた孤独や苦しみは、同じような状況にある方々にとって共感できるものだと思います。
辛い経験の中でも、どこかに希望の光を見つけたいと考えています。
そして、この記事が、同じような境遇にある人々に少しでも力や支えを与えられることを願っています。