書評

プレジデントの「社会的に死んだ人の3つの生き延び方」を読んで考えたこと

2024年8月16日号の雑誌『プレジデント』に、気になるタイトルが目に入りました。「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」。

この問いに惹かれ、思わず読み進めました。

 

今回は、この号で紹介されていた「社会的に死んだ人の3つの生き延び方」という記事を読んで、自分の体験や考えと重ね合わせながら感想をまとめてみます。

会社勤め時代、休日は山奥に引きこもっていた日々を思い出す

 

社会的に死んだ人の3つの生き延び方

 

①山奥に暮らす
電波の届かない森の中では、太陽とともに寝起きし、天候に合わせて働くため、社会のわずらわしさを感じなくなる。

 

②自給自足で暮らす
狩猟や採集、農耕をしながら暮らす。あらゆる生き物の命を奪うため、自分の「死」も気にならなくなる。

 

③自己表現する
登山や演技などの自己表現を通じて、本当の「自分」を探し、周囲につくられた自分を捨て去る。

 

引用元:どうせ死ぬのになぜ生きるのか(プレジデント2024年8/16号)[雑誌] PRESIDENT 編集部 (著)

 

『プレジデント』の記事を読んで、ふと過去の自分を思い出しました。

 

まだ会社員として働いていた頃、休日になると私は毎回、山奥へ足を運んでいました。

 

ハイキングコースを歩いたり、森の中でただ時間を過ごすことが、心の休息のように感じていたのです。

 

携帯電話さえ持たず、誰とも繋がらない孤独な時間を楽しんでいました。

自然の中では、人とすれ違うこともなく、ただひっそりと過ごす

ハイキングコースを歩いていても、山奥ではほとんど人とすれ違うことはありませんでした。

 

自然の中に身を置くことで、自分がまるで森の一部になったかのような感覚を味わっていました。

 

会社勤めをしていた頃から、孤独を好む傾向があったのかもしれません。人と距離を置き、引きこもることが心地よかったのです。

山奥が自分の「居場所」だったのかもしれない

 

今思えば、私は山の中に自分の居場所を求めていたのかもしれません。

 

社会の喧騒から離れて、ただ木々に囲まれた静かな道を歩く時間が、心を落ち着かせてくれていました。

 

木漏れ日の中、誰にも邪魔されずに歩くことで、心が癒されていたのです。

両親の離婚で失った心の安らぎを、自然の中で探していた

私がこのように山へと足を運ぶようになったのは、小学生の頃に両親が離婚したことがきっかけだったのかもしれません。

 

あの時から、私はどこか自分の心が休まる居場所を求めていたのだと思います。

 

うつ病やアスペルガー症候群と診断された今は、外出することが減り、アパートで過ごす時間が多くなりましたが、山で過ごす時間の心地よさを、今でも懐かしく思います。

 

いつかまた、元気になったら山ごもりを再開したいと思っています。

まとめ

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『プレジデント』の記事を通じて、社会から距離を置くことで自分を取り戻そうとしていた過去の自分と向き合う機会を得ました。

 

山の中で過ごす静かな時間は、私にとって一時的な「生の実感」を取り戻す場だったのかもしれません。

 

今はまだ自分を探し続けている状態ですが、いつかまた自然の中で心を休める時間を取り戻し、前向きに生きていきたいと感じています。

 

自分のペースで、少しずつでも新しい「居場所」を見つけていきたいです。

この記事を書いた人

大福
大福

うつ病の無職が自己破産をした体験談やゲーム実況で20万円稼いだことのある出来事などをブログを通じて書いているブログ管理人です。うつ病に寄り添ってくれない過干渉、過保護、依存症の毒親である母親と二人暮らしです。

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