毒親

毒親の母親と離婚後の父親との思い出

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母親と父親は、わたしが小学生低学年頃に離婚しました。

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母親に引き取られることになりました。

 

父親の持ち家である住宅ローンの名義は母親に変わりました。

両親が離婚した後、父親に会えるのは、月一回だけ

父親が浮気相手と再婚したことを知った時はショックでした。

 

父親は、再婚相手と一緒に住んでいる賃貸に何度か連れて行かれたことはあります。

 

再婚相手の女性は、母親とは違って、食堂にいそうな愛想のいい女性でした。

 

料理をたくさん振舞ってくれました。

 

世間話をして父親を交えて楽しい時間を過ごしました。

 

また、父親とは一ヶ月に一回だけ会うことを母親に許されていました。

父親と会える時間は約6時間だけ

父親は、毎回、お小遣い5000円をくれました。

 

そして、自動車で、デパートに行っておもちゃコーナーを回ったりして過ごしました。

 

屋上から景色を楽しむ時間もありました。

 

いつも、お昼ごはんは、トンカツ弁当を買っていました。

 

そして、山の中腹まで自動車で登って景色のいい場所で父親と一緒に昼ごはんを食べました。

 

あとの時間は一緒にキャッチボールをして遊んでいました。

 

父親と会う時間はいつも朝9時ごろで、自宅へ帰るのは15時ごろで決まっていました。

父親と同居している時までは、幸せを感じることができた

父親と会うのは月に一度の6時間だけ会うことを母親に許されていました。

 

小学生低学年から中学生くらいまで、父親と会う関係が続いていました。

 

中学生になってから、土日祝も部活動で運動するようになってから、父親と会う機会は疎遠になってきました。

 

ただ、父親は、いつも母親の愚痴を言っていました。

 

あの人はどうしようもない!

料理の食材選びから価値観が違う!

 

と言われました。

 

たしかに、わたしは父親と感性は似ているのですが、母親とは感性が似ていないのです。

 

母親と一緒に住んでいても、全く楽しいと感じません。

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離婚前までは家庭が楽しい、幸せを感じていました。

母親は過干渉、過保護、依存症の三拍子の毒親

依存症の特徴と症状

 

依存症の特徴として以下のようなものがあります。

 

やめたくてもやめられない(コントロールできない)
「今日だけは止めよう」とか、「これで最後にしよう」などと心に誓ったり、周囲に約束したりしても、ついやってしまう。

「ほどほどにしよう」と思っても、適当なところで切り上げることができない。

 

慢性・進行性
放置すればどんどん進行し、やめることで進行は停止するが、長くやめていてもかつてのコントロールを取り戻せない。

 

とらわれ・のめり込み
自分の中の大切なものの順位が変化し、家族・仕事・将来設計等、生活の全てに優先してのめり込んでしまう。

問題を否認する
借金・家庭内の問題などの現実を見ない、事態の過小評価、事実を認めず攻撃的になる等。

 

家族を巻き込んでしまう家族が悩み、依存症者に注意する一方、借金の肩代わりを行う等の目の前の問題解決に奔走し、身体面・心身面・金銭面で疲弊していく。

 

引用元:依存症 - こころの情報サイト

 

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楽しくなくなりました。

 

幸せを感じなくなりました。

 

父親の存在がわたしに人生の楽しさや幸せを与えてくれていたように感じます。

 

父親が出て行ってしまって、過干渉、過保護、依存症の母親と同居することは、人生を楽しく過ごせなくなりました。

 

そして、わたしが社会人になってから、父親と会わないように言われました。

 

母親は血の繋がっている父親との安らぎの時間を奪う毒親だと感じます。

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 プロフィール

大福

大福

うつ病の無職が自己破産をした体験談やゲーム実況で20万円稼いだことのある出来事などをブログを通じて書いているブログ管理人です。うつ病に寄り添ってくれない過干渉、過保護、依存症の毒親である母親と二人暮らしです。